良書絶版本リスト

 

 このページでは,私が読んだ学術書の中から現在絶版となってしまっている「良書」を紹介する.もちろん,ここでいう「良書」とはあくまで私の個人的な判定にすぎないが,現在販売されている著名な学術書にも決して劣らないと思われるものを気ままに紹介する.以下で紹介する学術書は既に絶版となっており,購入して入手するのは難しいかもしれないが,大学等の図書館で所蔵されている可能性が高いので是非探して読んでいただきたい.それぞれの著者が長い年月をかけて習得した知識や,それぞれの著者の学問に対する情熱が少しでも後世に残る手伝いになればと思い,このページを作ってみた.(2020/4/16)

 

[統計・検定] 岩原 信九郎 (著), 新しい教育・心理統計 ノンパラメトリック法, 新版, 日本文化科学社, 1964.

 統計などの分野では,データの出現頻度として正規分布などの特定の分布を仮定して議論を展開する手法をパラメトリック法と呼ぶ.一方で,対象を特定の分布に限定せず,非常に緩い仮定の下で議論を展開する手法をノンパラメトリック法と呼ぶ.ノンパラメトリック法は「distribution-free」な手法とも呼ばれる.私が研究で使うこともあるスプライン関数は,区分的多項式の係数を「パラメータ」に持つ関数として考えられるためパラメトリック法であるとよく誤解されるが,正しくはノンパラメトリック法と考えるのが適切である.これは,区分的多項式の係数を変化させることで,スプライン関数が様々な形状の分布を柔軟に表現できるためである.つまり,パラメトリック法とノンパラメトリック法の分類は,パラメータ表現を用いるかどうかではなく,対象に特定の分布を限定しているかどうかで判断すべきなのである.大学の講義では,一様分布,正規分布,ポアソン分布などが一般的によく用いられる分布であると教わるだろう.勉強熱心な人は,カイ二乗分布, t  分布,ベータ分布,対数正規分布,フォン・ミーゼス分布など更に様々な分布が存在することを知るのであろう.もしかしたら,分布の名前と形状を覚えるのが好きな「分布マニア」のような人々もいるかもしれない.名前が付けられている特定の分布に関する知識を獲得することはもちろん大切ではあるものの,様々な形状の「名もなき分布」達が現実世界には無数に出現するということも決して忘れてはならないと思っている.理学や工学の分野では,一様分布,正規分布,ポアソン分布などの特定の分布を用いて,現象を精度良くモデル化できる場合が多い.一方で医学や社会学の分野では,様々な形状の「名もなき分布」から生成されたデータの解析が必要となる場面が多い.したがって医学や社会学では,特定の分布に対してのみ高い精度を誇るパラメトリック法ではなく,様々な形状の分布に対して一定の精度を保つ頑健なノンパラメトリック法が重要となるのである.
 しかしながら,ノンパラメトリック法全般に関する詳細な文献は依然として少なく,Box-Cox 変換などを用いてデータを所望の分布の形状に近づけた後にパラメトリック法を適用するアプローチが多いのが現状である.こうした現状を踏まえた上で岩原氏が執筆した本を読むと,1964年(改定前の初版は1955年)の時点でノンパラメトリックな検定手法全般が,二百件近い参考文献を踏まえながら分かりやすくまとめ上げられていることから,内容の良質さに驚嘆すると共に,これほど素晴らしい本でも絶版になるのかと一抹の虚しさも覚える.ノンパラメトリック法の概念や扱い方がもう少し一般的な知識となれば,この本や同じく岩原氏が書いた「新訂版 教育と心理のための推計学,  日本文化科学社, 1965」がいずれ再評価されるのだろうと予想している.最後に,岩原氏の経歴を調べてみると,出身は東京文理科大学教育学科心理学専攻であり,いわゆる「理系」出身ではないようである.岩原氏の興味深い経歴と素晴らしい本の内容から,私は「物事を究める際に最も大切な要素は,才能ではなくて,やはり努力や情熱である」ということを感じずにはいられない.(2020/5/3)